未来は必ずやってくる

最近寒い。ともすれば風邪なぞ引きそうである。


先日、兄と「ヒマラヤ 運命の山」という映画を観に行った。

僕は中高時代は登山部だったため、その時目にしたダイナミックな光景と、登山に特有の焦燥や緊張、達成感が甦る名画であった。

それはさておき。


...あれから時間が経って、やっとわかったことがある。
それは登山部の元顧問で、校長先生も務められた河合善造さんという方の言葉である。


「死ぬときは山で。」


本当に山好きで、かつ温厚な性格で、人付き合いも達者な先生が、僕が高2の時にボソっと仰った言葉だった。

そういう時が来るものか、と心に留めながら最近までずっと20年ほど自分を観察して生きてきたが、20歳の誕生日も半年ほど過ぎて、少しこの言葉に自分が近付いてきたように感じる。

(最近は、19歳までの輝きを明らかに失っている。その代り新しい輝きが得られつつあるのだけれど。)


そういうこともあり、また最近は就職活動(?)で「人生の夢は何?」と問われることが時たまある。

細かいプロセスは省き、ぶっちゃけると、僕の究極的な夢は「一生遊んでいたい」だ。
(「世の中に役立つ立派な仕事がしたい」「誇りある人生を歩みたい」とかではない。念のため。)

無理に賢人ぶる自信もないし、正直、香川の野草のぼうぼう生えた片田舎で兄ちゃんとバッタを素手で捕まえてドブにずっこけている時が、今に劣らず、最高にエキサイティングだった。

ま、山に登るのも一つの遊びみたいなもので、死ぬ危険を2度ほど感じたものの、あの遊びは時間と体力が許す限り、何度でもやりたい。


というわけで、就職をそれなりにやって、20代のうちにアフリカ(タンザニア)のキリマンジャロに登頂、あわよくば頂上でキリマンジャロコーヒーを飲む、というのが当面の夢。

そのために、大量のお金と体力とチームと知識が必要なのだけど、それらをこれから埋めていく作業が楽しみだ。