大学生活5月号〜楽しす〜

最近、大学生活が楽しい。
なぜかというと、自分が自分で納得できているからだ。
うまくいかないことも多くある。たとえば朋友が欲しいこと、忙しいこと、恋人が欲しいこと。
でもやっぱり、全てがスルスルうまくいったらいいな、と思う。
だってせっかく大学生、しかも苦労して東大生になったんやで。
高校時代は大学生になると何でもできると思っとったし、実際3月までは完璧な希望に充ち溢れていたんですよ。
それが4月になり入学してキャンパスライフってやつを送ってみると、大学は広いし、人は多くて付き合っていたらキリがない
し、でもたまに知り合いに会えるとホッとする。

最近ハッと気がついて衝撃だったのは、幸福感は長くは続かない、ってことやろか。
一度4月の途中本当に幸せな時があったのだけど、その翌日、昨日のことを考えてみると、
昨日感じていたほどの幸福感はそこには残っていなかったというわけ。
これが人間の欲望には限りがないことの証拠の一つってわけか。

東大に入るという理想を実現した今は、幸せなことだけど、東大も何から何まで日本一じゃないナと感じている。
歴史的に見ると日本一だけれども、より優秀な学生は慶応やら日本中の大学にまだ沢山いるし、彼らには上に東大がいる、って
思って本当に真剣に学問をしているのもいる。最近そういう本気な人を見たんだ。
東大生は決して地位にふんぞりかえったらダメだ。だから俺は一度、全てに幻滅もした。大学の全てをあきらめるところから始めて、そこで何をしたいか。そこで何が出来
るか。そこでどう成長したいか。これは今でも考えている。
だけど、この事柄については、「分け入っても分け入っても、青い山」のまま。

それから、たまに、ほおを不意に殴られるような激烈な知的興奮も、感じている。
それは本当に頻繁に起きることではないのだけれども、この上なく痛いボディブローを見舞われる。
自分の何が悪かった、というのではないし、相手のどこが悪かった、というのでもない。
ただただ、人間世界の原理原則を学んでいく経験は苦しい、のだ。
どこまで行っても、生きている限り、「学び」は続くのかしらん。

今までの友達はだんだん変わっていく。外見は勿論、性格や接し方・関係も変わるし、中には俺とちっとも話してくれなくなっ
た奴もいれば、逆にどんどん関係が深まる奴もいる。
僕の知っていた女子生徒も化粧をし始め、一人暮らしなのにバイタリティが高いなあ、とひそかに思っている。
男女を問わず、恋愛をしている人もそれなりにいるみたいだ。
僕はこの4月まで、3、4年間もある子に思いを馳せていたが、たった昨日、その執着、というか寄せる気持ちを捨てることにした

なぜかというと、もう大学に入ってからは同じサークルやクラスでない限り、接点を作ることは難しいからだ。
いつまでもそれを引っ張っていては、出会うこともままならない大学生活の中で、僕の精神的によくないのである。
新しい境地に足を踏み入れなくては事が進まないのだから。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、とはよく言い得た言葉だ。

振り返ると、灘校時代はよいところだった、と真剣に思う。これは4年上の先輩に3年前に言われたことだが、当時は「ほんま
かいな」と全然信じていなかった。だが今現にそう感じる。今は別の進路に進んで離れた友も、そう感じているかも知れない。
大学に行っても、18歳までの時代と決別するわけじゃない。今は楽しい経験をいっぱいしているわけでもない。だけれども楽しい、と感
じているんだ。

最初に書いたけど、思い通りにならないことが今でも多い。
でも、長い人生の中で今の時期は、なんとか大まかな戦略を立てるための社会的な経験として、自分の身に起きていることは全
部教材として勉強しようと思っとるけん、乗り越えてみせよう。

嫌なことがあっても心はカラリとしていたい。
嫌なことなんてないけど。