最近の悩み

どうも人間及び身の回りの物体そのものが、概念の具体にしか見えてならない。
しかしながら、それですべての説明がつく点がこれまた気持ち悪い。
さらに困ったことには、自分が親しいと思う人間のみは、特別に、人間に見ることが出来るのである。(因みに、また残念ながら、その数は非常に少ない)

具体的には、電車に乗っても学校へ行っても、Aという輩は男、Bという輩は女、Cという輩はタンパク質と脂肪の塊、といったように、すべてのものはそれを表す概念及び名前の表出に過ぎない、とみなしてしまう。
先哲には「名前を付けることが出来ないものは、存在しないのと同じである」と述べた者もいる。
言語を毎日使わない人がこの社会にはいないように、今日の僕が生きる地域には、名前の付けられないものなど、僕と僕が人間に思える人間の頭の中にしかないようだ。