またもや私的文章(完全な自己満足!)

9/9
本当に、秋日和。今までの夏休みの中で一番楽しいかもしれない。それにしても、気候が少し叙情的。やっぱり、秋が一番好き。
昨日は台風が来たみたいだけど、雨に遭うこともなく、嵐が過ぎ去ったあとのいいほの甘い匂いがする夜道を、駒場から渋谷まで歩いて帰った。今日は目白の駅で山菜そばを食べた後、学習院のベンチでコーヒーを飲んで、学習院の女の子に道を教えてもらったりコンシェルジュの谷口さんに微笑み返しをもらって(今日なんかは歯を見せて笑ってくれた)、「ナンパしていいですか」って言いながらナンパする友達はどうなんだろうwとか考えたり。

最近思うことには、「何もないことって、いいな」、って思うこと。今日は、嬉しいことも悲しいことも全部忘れて真っ白になりたい気持ちを感じたわけで。予定をどんどん入れて人とどんどん会うことも大事だけど、確かに大事だけど、本当に今やりたいこと?コネのために人間と会うなんて、くだらない。コネなんて後からついてくるもの、副産物だと思う。大事なのは、自然と調和して生きること。頭を煩わせることが何もない状態、って本当に素晴らしい。無理することはない、自分の中から進んでやりたいと思うことも、自然のうちなのだから。でも、頭の中で長期的な構想をたたえておくということは、忘れないで。

たとえば、将来どんな暮らしをしたいかというと、やっぱり、「自然の中で、大きな家で暮らしたい」っていうことかしら。たとえば、オーストラリアで暮らすとか、いいんじゃない?英語をがんばるモチベーションにもなるだろうし、治安も比較的いいし、日本とも近いし時差もないし。ぜひ行ってみなくちゃね!きっと気に入るよ。

それから、組織の中での自分のあり方について。自分は高校ではワンゲル、放送、大学では陵禅会(東大の座禅サークル)、APFL(金融系のNPOの学生スタッフ職)と代表をしてきたけれども、やっぱり自分から「やる」って決めたのは主に高校生時代の役職。リーダーを引き受ける時に、完全に主体的になれたのは、ワンゲル。大事なのは、競争。APFLなんかは途中で本当に訳が分からなくなってきたし。


今日は「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら」を読んだけれども、自分の中で一番組織をマネジメントできたと感じるのは、ワンゲル。メンバー全員に責任(≒やりがい)を割り振って、仕事の配分と流れ、結果の責任を負うことに徹することができた。無事にプロジェクトが遂行できた、という点ではGoodだったけど、あの時忘れていたのは社会的視点だったなあ。「自分たちがどうやるか」ばかりに囚われていて、サポートしてくれる学校、山の宿の人、親、に対してどのような価値を提供できるか、が全く欠けていた。そこは全身で反省するべき点。


今、大学でやってる陵禅会とAPFLとの違いは、平日は毎日練習があったために顔を合わせる機会が多かったこと、皆同じ学校に通っていたからまとめやすかったこと、かしら。今はそうじゃないのです。予定が合わんからまとめにくい!

働き方としては、一つの組織にずっと居続けて、腐ってたら自分から全部改革してやる生き方、よりも、よりよいところにどんどん移っていく生き方のほうが、自分らしいのかしら。前者の、腐ってる組織を自分から改革、という経験はまだしてないから、本当に本当にわからないんだけど。でも、自分の能力を活かして働くという意味では、後者みたいに会計士の資格を取るのが一番いいよ、たぶん。

円覚寺横田南嶺さまもいってたけれど、「人生に無駄なことはない」だってさ。どんとこい!辞めるもあり、続けるもあり!
ただしそれは、アレンジメント、マネジメントをサボってよいという意味では決してないはず。大事なのは、どんな状況に陥ろうとも、マネジメント(MGMT)し続けること。→MGMTって、組織全体の把握、目的、手段の考案、どこに結果を求めるのか、集中の選択、とか。広い意味で、セルフマネジメントは一生続くねんって。

あと、日本は国際社会では発言力がない。聞かれないと何かを喋らないからだ。だから、他者に理解される可能性は極端に低い。とにかく、よく喋る人間になること。そうでなければ他人に分かってもらえないし、逆に不信感すら持たれる。そして次に、中国インドフランスの外交術によく見られるのが、厚かましい行動・態度。それくらい日本人もしてもいいんじゃないの、って思う場面は、本当に多い。日本人の悪いところは、右、左の人を見渡して、「君どーする?」的な行動しかとれていないこと。「俺はこうするぜ」って公に意思表現できるようになったら、国益も大いに増すに違いない。これは個人にも言えること。ただでさえ、日本には外国人もたくさん入ってくる時代になったので、彼らに主導権を売り渡すことにならないように、個人レベルで行動規範は常に再考にさらさなくてはならない。

何もないこと、「本気で生きなければ最大の成果は得られない」という激しい考えとは別のアプローチ。人生は楽しんだものが勝ちというなら、最終的に目指すべきはその状態。何もしなくって「何もない」状態になるのではありがたみが少ないから、何かしらの主体的な経験をした後で、「何もない」っていいな、って心の底から感じられるように持っていきたい。

今年の夏休みは、余計なイベントに出席しなかったり、「いまここ」を重んじる座禅にも行ったり、9月に入ってからは気候も最高によくなってきて、r.u.への愛情もあるし、本当に本当に素晴らしい。人生の中でも特筆に値するのではないだろうか。19歳の夏。文2ート、っていう範疇を超えて、K.N.としての今を謳歌している。あと、望むべくは運動かしら。でも、こんなに安らかで穏やかな愉しさを湛えた時間は、人間として本当に大好き。本当の幸せは、絶頂ではなく、穏やかなる部分に宿り、ちょっとやそっとの時間の流れでは、容易に流されないものなのではないか、ってゲーテは言ってたっけ。

今は、凡事徹底、ということが目標。生きてる、ってすんごく有難いことです。ほんとうに感謝。
三か月後の会計士試験は「落ちたら後悔する」だろうから選択集中してがんばってみせる。
受かる。受かる。受かる。受かる。受かる。受かる。受かる。受かる。受かる。受かる。受かる。受かる。受かる。


本当に大好きな季節。
もうちょっと、ここにいさせて。

私的文章 オンラインupしただけ(笑)

9/6
円覚寺座禅から帰宅。教養学部も終わり、1.5年が経った。3年から経済学部(金融学科)に進学決定したところ。

さて、この1.5年。宗教漬けである!!!仏教、キリスト教イスラム教。

始まりは、ワンゲルで比叡山延暦寺に行ったとき、延暦寺会館にて「お客様、座禅をしないとご宿泊料金が1000円高くなります(キリッ」て言われた時。マジったけど、なんとか済ませて、でもやはりそれが原体験になってたんでしょうか。原体験、あな恐ろしや(真面目な意味で)。・・・ここから得られる教訓:「最初をよく観察しろッ!」


●仏教:禅宗は実は仏教だと知らずに入門。陵禅会、龍澤寺、後藤老師、永平寺円覚寺。知らない間にどんどん引き込まれてゆき、僕はこれに力を感じる。自分でも結構急所までは突くところまで来ていると思う。だが、ずっとそうしてばかりいられないのである。現実世界でビジネスをするのが自分の本性だし、家がお寺でなくてよかったと悟った(笑)し、生活全体を宗教色に染めることは僕には不可能だ!(と気づいた)が、とても座禅は価値のある行為である。時間の許す限り、自分について自覚的でありたい。ビジネスだけの人生は絶対送ってやるものか。人間には本来、こころというものが、存在するのだ。それは、自分のことに気づくことで初めて体得できる。

そしてこころは、自分の内なる潜在能力、capacity inside myself とほぼ同一である。自らの仏に気づくこと、目覚めること。絶対に、若いうちに経験しといたら後の人生も有意義なものに、実質感を伴った人生になるはずである。

禅についての歴史、知識、時代背景、考え方も自然と学ぶことができたのは、ひとえに陵禅会のおかげである。何か一つ、極めるべき軸(専門)を持っていると他のものがが非常に理解しやすくなる、という手本のような例だ!禅の堂々としたポリシーは、大好きであるが、いかんせん押し付けはよくない。どこまで行っても、個人の自由に任せるべきである。最終的に獲得したいのは、「自由」「freedom⇒libertad」なのである。禅だけの世界でとどまっていてはならない。実際の世界で役に立ててゆく必要があるのである。なぜなら、私たちは禅だけの世界で生きているのではないのだから。それにも私は気づくことができたので、いつまでも禅をしているばかりにもならないのである。毎日少しずつ、3分禅を意識するだけでよい。時間は大切に使わなくてはならない。
毎日生きるているということ、毎日ごはんが食べられることは尊い。ただし、時間もまた尊い

身体的にも座禅は優れている。経を唱えるのも、声の調整となって心地よい領域まで至る。滑舌は唇である。そして正しく結跏趺坐を行うと、激しい座禅となってひどく油汗が滴ることとなるが、それでよい。本当に生きる力が湧いてくる。これは、何なのだろう。円覚寺では、久しぶりに本気になった。本当につらかったが、たまにはそういう思いをすることが、活き活きとした人間になるためには必要だ。心頭を滅却すれば、火もまた自ずから涼し!


それにしても、2500年前の人間(詳しく言えばブッダ)が未来(現代)に生きる我々の問いに答えていた、という事実は見逃せない。たとえば煩悩、空、食、欲、時間、宇宙感、遺伝子感。人間の考えることは昔から変わっていないということの重要な証左である。自ら見つける、という主体性に、私はひれ伏すほどの感銘を受けないではいられない。

仏教のよいところは、決して「押し付け」がないところである。他の宗教は大体、「汝は原罪を抱えている、これに信奉しないと汝は救われないままである」とか説く。そしてそういうのに限って、教義は理解が容易である。しかし、仏法のそれと異なる点は、強制しない、経典の意味が分からない、自分で自分を見つけて気づいて律するしかない、という点である。この差は大きい。自分で自分の中に仏(ここでは「気づいた者、目覚めた者」)を見つけることが各自に任されている。白隠禅師座禅和讃の冒頭にも「衆生本来仏なり」とあるが、これこそ仏教、特に禅宗の極致である。このへんはかなり私の価値観に影響を与えている。むしろ西洋の個人的史観に近いのではないか、と私は思っているくらいだ。

キリスト教
目白に教会があるのを見つけて以来、何だこれは、と思っていた。福島さんについて行ってキリスト教セミナーにも参加したり(非常に怪しかった)、「’’faith’’とは動詞である」か、というカーター大統領の本を読んで感銘を受けたり。しかしやはり、旅先では?長崎の26聖人殉教者資料館・きりしたん文化・大浦天主堂(の修学旅行の先生とか)・浦上天主堂(の心優しいシスターやカトリックセンター←ほんとに心安らかで眠りやすかった!)、?北海道のクラーク博士の「Boys, be ambitious in Christ (God)」、「青年よ、金、利己、はかなき名声を求むるの野心を燃やすことなく、人間の本分をなすべく大望を抱け」「Be gentleman」が一番興奮したキリスト教である。
日本におけるキリスト教の歴史もここで学ぶ。


イスラム
マルコムX導師、シンガポールのモスク、メッカの写真集、東京ジャーミイ。ていうか高校の時からコーラン読みたいと思って図書室に通ってたっけ。嫌いじゃないです。結構好きかもしれない。今度また東京ジャーミイ行ってみよう、とか大学卒業するまでにメッカ行きたいな、の段階。


●いずれにせよ、灘の河合校長が全校集会で「わが灘校は無宗教ではありますが、若いうちに宗教について考えることはとても大事なことです。ぜひ大学に入ったりしてそ浮いう時間を持てたら向き合ってみてください」とおっしゃったことが、私のこの一年半を疑いなく規定してしまった。それから蛇足であるが、校長先生は、「情報を見分ける力、捨てる力」を強く強調していらっしゃった。また、古文の松岡先生は「君たちは将来エリートになるんだろ!だけど、そんな人生でも一度は君たち、いつかどこかで、今までの人生を凡て失くして、生まれ変わらなければならない!」

知らず知らずに宗教に触れててよかったのは、一生懸命生きてる人を間近で見られたこと。彼らの熱意は比類なきもので、人生を懸けて取り組んでいる姿勢は尊敬に値する。(ただし、居眠りや食欲など、どこまで行っても世俗人間らしい部分が垣間見られたことは、ご愛嬌!笑)また、時間の流れ方、名誉・地位・ビジネスとは全然違う世界もあるのだということを、臨済宗曹洞宗を中心にみて回れたこと、それから、人生の基礎となる考え方(一言でいうと、「★自分に気づくこと、★自分に目覚めること」)を早いうちに把握できたことが、私にとっては最大の幸福です。もともと僕たちは生まれた時から幸福なのであって、それだけである。気分の上下など、大きな視点から見れば小さいことで、何があっても堂々とどっしり構えていなさい。

世界は三千大千世界である。(1つの世界が1000個集まって小千世界となり、小千世界が1000個集った空間を中千世界と呼び、中千世界がさらに1000個集ったものを大千世界という。)

大事なのは、食事、呼吸、運動。ヘソの3寸下にある丹田を意識して毎日生活しよう。

何もなくても、★「満ち足りている」と感じられる心を持てるか。非常に取り組み甲斐のある公案をいただいたものである! 
しかし、それとともに現実世界で功を成すことも決して忘れてはならない。我々の大半は在家の人間であるために、自分の力でご飯を食べていかなくてはならないからだ。バランスが重要なのであって、私は別に宗教と真面目に取り組む期間をもつことの重要性をここで述べたかっただけである。断っておくが、もちろん私はどの宗教の信徒でもない。自分の価値観に古来の英知を取り入れたいと願っている普通の学生である。肉も魚も好きだし、女の子も酒も好きである。

しかし今湧き上がってくることには、「もう東洋は大体わかった、次は西洋だ」という思いである。西洋人が東洋を「発見」する例はかなりの例が存在するが、逆に東洋人が西洋を「発見」することは可能であるか?次の私の課題はそれである。(あ、でもここは日本だ・・・)

以下、続く。 今夜は以上!

2009年度を振り返る

去年の3月28日に上京して、東京生活も1年が過ぎたぞね。
2009年度も終わりかけるので日記を書くぞね。
(「ぞね」って語尾、完璧にハマったーーー(笑))

いい先輩になれただろうか。
思えばこの一年は初めてのことがとても多かったようだ。
2009年度を二言であらわすならば、「悲惨」かつ「甘美」。

別に、「悲惨」な事柄や「甘美」な事柄について長々と陳述することも好きではない
(←めんどくさい&恥ずかしい)ので、今の雑感・課題・ステートメントをば。

★やっぱり、周りの人にすごく「期待されてるナー」と思う。
僕自身はそんなに重要な位置につこうとはしていないのに、という感じ。嫌いではないけれども、やはりこの一年は戸惑いを隠せなかった。
これからは周りの期待にも、自分の方針と合うようならば誠実に応え始めなければ、と思う。
ほんまにありがたいことやね。


★実の経験がまだまだ足りぬ。
何か話をするにおいても、それが人から聞いたり本から読んだりしたものよりも、自分で肌で感じるということの方が、現実味・厚みという点では到底かなわない。
他人が話していても、その人が本当に直接体験したことか、間接的に知ったことかは聞けばすぐわかる。
「自分の体験に基づいた言葉」で、僕は人と話がしたいのです。


★根源的な自信をば。
この一年、いろんな場面で、僕は自分に対する揺るぎない自信が欲しかった。
結局自信というものは、周到な準備があって生ずるものである。
揺るぎない自信は、日頃の生活からということである。
「いざ」という時にイキナリ持とうと思っても無理な話だと判った。


東京大学経済学部経営学科への進学を目指します。
進学振り分けで希望が叶わなかったらクスッと笑ってやってください。
と言っても、到底不可能な話ではないはず。
4月からの新学期の実質6コマを真面目にやれば大丈夫だと思います。
真面目にやるだけだから、ハードルは受験期よりは低いか。
第二志望は農学部か文学部^^


★東大来てやっぱり良かった。
「何を今さらイキガッテル」と言われるのは必至だけれども。これは事実です。
大学生自体が良い職業なのかもしれませんが。



★いい恋します。
少し前の日記で「20になるまでは恋愛禁止だーばかーっww」とか書いてたような気がするのですが、早くも撤回です。
2009年度は色々と淡い恋&面白い恋もありましたが、2010年度はもっと踏み込んでいきたいものですね(爆)。
自然と心に火が点いている、そんな人に巡り会いたいです^^
(↑努力もしなきゃね!!)



★さて、そろそろお別れの時間です。
2009年度は色々見てきました。2010年度はもう少し、自分の中に何かを蓄え始めることができたらいいですね。
そういう年の重ね方を、きっとあと20年ぐらい愚直に続けていたら、自分も少しは魅力的な人間になれてるかな、とか願いつつ。
起きてる時は大きな夢を、寝ている時は小さな夢を。



新年度を迎えましても、変わらぬお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。
(↑なんか年の瀬みたい。^^)

教養と、恋愛と、お金と

試験おわったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ(もう20日も前のこと)
バンクーバーうるうる。
ようやく春の匂いがするようになってきた!

以上、生存報告でした^^
ん?
早過ぎてよく見えない?小指が立ってない?今のはマボロシ


はあ、、、今のが粗相か・・・。というわけで。
(因みに、僕はコールなんて大嫌いですのでご安心を^^ まあ最近実は、お酒自体好きじゃなくなってきたのよ。)



◆教養について
教養とは、まだ見ぬものに対する判断力の養成である。というのも、教養教育とは新たな視点(例えば、歴史的視点なんか身につくと物の見方が変わるでしょ)を与える教育として最もふさわしく、各分野の深みに達することまでは目指されていないからである。つまり、教養教育の到達点は「きっかけ作り」がいいところである。

またしかし、教養のある人物ほど、教養教育由来ではなくて、自分で身につけようとして身につけた教養を持っていらっしゃる。自ら学ぶ姿勢なくしては何も得られない、と話す(述べる)彼らの姿からは、わざわざ誇示することもないのに、にじみ出てくる何かを持っている。与えられた教養ではなく、本当に身についている教養とは、何もしなくても身体からにじみ出てくるものだ。そんな風になりたいものである。


◆恋愛について。
ベッキー(年上の方ね)は偉いと思う。というのは、仕事の充実を祈願して、恋愛禁止を自分で宣言していたからである。あの境遇に居ながら、恋とか愛を振り切っていい仕事しようとする姿勢には、鬼気迫るものを感じる。僕が勝手に感じるだけだけれど。というわけで(?)、僕も20になるまでは恋愛禁止宣言を発令することに致しました。最近身辺整理(笑)も終わったことだし。もう一度仕切り直し(θωθ)わふわふ。


恋はいつでもできる、でも好きなことは今しかできない。そんな感じ。切実に、良い仕事がしたいです。恋でも愛でも、どんとこい。あっ、でもガールフレンドは絶賛募集中^^という、アンヴィヴァレントな状況なんですが、そこは’’お察しください’’。そうなると、12月生まれというのはちょっと損だな、とか思うのはここだけの話。
因みに、最近の友達の名言を紹介www

「恋人は何人でも作れるけど、結婚できるのは一人だけなんだぞ」


◆お金について
やはり、「お金じゃ買えないもの」はお金がなければ持ち続けられない、という結論に終着。確かにお金が幸せを保証することはないけど、お金は不幸せを予防する薬、のような役割は果たせる。その意味で、明らかにお金は力である。しかし目的ではないことに留意しなければならない。ある程度、は必須ということだろうか。

あと、最近新しいアルバイトを始めました。大学の近くで、週2・一回3時間、条件だけみると飲み会のようなバイトですね。テンキーを打ちまくっています。時給は1000円ですが、ケーキが食べられるので、大好きですwww家庭教師じゃないのにね。。。


◆東大入試について
東京大学の学力二次試験が行われたもようです。今年の問題は例年よりも難しかったですね。後輩諸君に尋ねてみても、誰も「出来た」という言葉を発さず、そのようなそぶりも見られませんでした。「イモ洗い状態」になっているとは思うので、合否の分かれ目は、最終的についたちょっとの差なのでしょう。受験は水ものだとつくづく思います。真剣に神頼みをする時の気持ちって、人間の最も謙虚な状態かも、とか思いつつ。

◆◇◆◇

4年間も準備するという点で、オリンピックを目指す選手って全員凄いと思う。
後輩たちが大学に入ってきたら色々教えてあげたい(笑)ので、僕はちょいちょい準備しますか。


わふわふ。wfwf

新規無題ドキュメント

試験日程が終わったーっ(理系のみなさん御免なさい笑)
新宿でクラスの友達に連れて行ってもらったパブ?で、一本1300円のベルギービールを2本味わって!
1ヵ月も禁酒していたということもあり、夢のように美味しかった!
おっさんとか言うなーwww


ふー、20コマはさすがにつかれた。
勉強する習慣はみっちりついたけど、読書するクセを無くしてしまったという惨劇。
知的に後退してる気がする。(←ここ重要)
テスト対策を通して、チャンスを活かすには、「リラックスした自信」を持つことしかない、って感じだわ、ほんと。


あと、最近、自分の周りで「仕切り直し」って言葉をよく聞く。
大学も1年近くいると、自分の生活を見直したりするのだろうか、部活やサークルを辞める人がちょっと目立つ。
仕切り直しっていいよね!「リセット出来る自由」はTVゲームじゃないけど、大好きですw
大学1年も終わりに近いし、もう立派に「大学生」じゃないか!って話を友達と交わしてた。
4年前の自分とか、4年後の自分に「俺、ちゃんと大学生できてるかな?」って問いかけたい。そんな気でいる。


英語と中国語を始めようと思う。思考形態の一環として、マルクス資本論を「教養」として読もうと思う。
というのも、今日はとある経済人にお会いして、お話しさせてもらったのけど、話せる語学と過去の知識は重要だとのことでした。
資本論が教養か、という議論はさておき(でも、労働者主体の経済を考えることは大事であるッ)。
やはり世の中、お金や語学や趣味があってこそだと思う。
僕にしても、大きなお金を得ることや、何カ国語も話せることや、自分の趣味を楽しむことは人生の一番の目的ではない。
けれども、「あるに越したことはない」と思う。つくづく。

(中国語、14組のみんな教えてくれぉ^^)


あと、安定志向だよね、と僕は人によく言われる。
確かに安定志向は好きだけど、現状維持に未来はないんじゃないの、って反論するんだけど。
輝いていても、磨き続けなければ、すぐに光を失ってしまうのは世の常らしい。
自分の段階を上げていかなくては面白くないし、どんな分野でも、水準が上がるにつれて面白くなっていくんだろう、って勝手な推測。
社会人になっても今の状態では、あまりに心もとない、という説もあるけど、そんなの聞こえなーいーーw


あ、あと、ナショナルジオグラフィックの定期購読を始めようと思う。好きなので。
会計士試験が5月に迫っている。


春は毎年、刺激的なのだ(笑)

ご健康にはくれぐれもお気を付け下さい。

健全に

メモ書き風に

関西旅行は非常に楽しかったです。満点の旅行をしたような気がします。

行き先:::

2日 大阪駅、北浜の適塾大阪証券取引所天下茶屋住吉大社阪堺電車阿倍野、住吉、灘校、三宮、ワンダーフォーゲル部OB会、天王寺

3日 平城京

4日 金閣寺(←感激)、北野天満宮

よく動いたものです。
しかし、僕がこの旅で探していたものは一貫したものです。

いろいろなことは割愛しますが、「健全に努力をしよう」と、関西という土地に自然と「思わされた」わけです。

大学生をすること自体恵まれていることですが、

東京で大学生をすることはですね、絶大なる幸運だと確信したのです・・・。

今の環境は、自分の人生の中でもまれに見る好機に間違いない・・・。

関西、および関西人からパワーをもらったような気がします。



自己満な日記は以上!